皆さん こんにちは 雅秀です。
今日は、お釈迦さまの教えとはどのようなものだったのか?を題材にお話しします。
お釈迦さまは、釈迦族の王子様としてお生まれになり何不自由なく暮らしていました。お釈迦様のお父さまである王様はお釈迦さまに世の中の人々の苦しみを見せまいと考えお城の外に出る事を禁じていたのです。
ある時、お釈迦さまがお城の外に出る機会があり、老人、病人、そして飢えに苦しむ人々を見て、人々は何故このように苦しむのか?この想いから出家へと繋がり、その修行を進められて遂には解脱=この苦しみからの脱出する修行方法を完成されたのです。
その修行方法は、常に中道を維持し、その中道から観察するところの気づきによって悟りを得る事。これが唯一人間が苦しみから「脱出する=解脱する」方法なのだと言う事をお説きになりました。
中道とは何か?と言うと、人間と言うものは常に思考パターンが人間的思考の運動つまり物事を見ると好き嫌いに分けようとします。この「好き⇔嫌い」が人間的思考の運動なのです。この両極端の運動に気づきその運動を止める事。これが中道であり、お釈迦さまの説かれた教えの中心となります。この運動を止めた目で世の中を観察すると、今まで気づかなかったことに気づくようになります。この気づきが智慧です。その積み重ねによって悟りを得る事ができると言う教えがお釈迦さまの説かれた教えです。
実は私たちの住んでいる世界。私たちの目の前に広がる世界は全て真理を現しています。例えば、生き死に、寝る起きる、呼吸で言えば出す吸う、この繰り返される無常=変化するの世に我々はいるのです。
よく苦しいから死にたいと言う人も中にはいるでしょう。しかし、死ではこの苦しみから脱出は出来ません。それも人間的思考の運動(生⇔死)だからです。つまり死ぬとまた生まれてくるだけです。この世とあの世への行き来を繰り返す。
ではどうしたらよいのか?
それは、お釈迦さまの教えられた修行を実践するしかありません
つまり、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)に常に気をつけて
それを止める。
例えば目に見えたものを美しい⇔醜いに分ける思考 それをすぐに気づいて止める
何故止めるのか?真理を観るには全体を見ないといけません
全体を見るにはものごとを2つに分けて半分を排除すると半分しか見えません
それでは悟ることは出来ないからです。
よく6根清浄と言う言葉を聞かれると思いますが
この2つに分けようとする運動は主に
眼、耳、鼻、舌、身、意 と言う6つの感覚器官から入る情報を分けようとします。
眼→美しい⇔醜い
耳→美音⇔嫌音
舌→美味しい⇔不味い
身→快⇔不快
意→快⇔不快
これらをまずは意識して止める事。完全に止める事ができればそれが中道です。
お釈迦さまはスッタニパータでこの事を繰り返し説かれています。
簡単に言えばこの中道を80%維持できれば明王クラス。100%で仏さまクラス
と言えます。
さあ、皆さんもこの繰り返される世界=同じことの繰り返しをもうやめて
私と一緒にこの苦しみの世界から脱出しませんか?
そこには安穏があるのです。
それでは、お釈迦さまのスッタニパータの世界へようこそ
修行を始めましょう。